臨衛技法改正について (4/5) |
昭和50年度の総会で「臨床検査技師,衛生検査技師等に関する法律」の改正運動を本格的に進めることが決定されて以来,歴代執行部は真剣にこの問題と取り組んできたが,実現は難しかった。こうした経緯を踏まえて,私は会長就任を機にこれまでの「政府提案」では難しいと判断し,「議員立法」を決断した。 しかし,日臨技は政治的活動を定款の中には当然認めていない。そこで「日本臨床検査技師連盟」を結成し,法改正実現に最も可能性があると考えた政権与党と協議をすることを前提に賛同者を募り,この技師連盟を後ろ盾に政治活動に入った。これには会員からのご批判も多くあった。しかし,議員立法という手段でも実現できなければ,今後,法改正は日臨技事業として取り上げても成果は望めないと考えていた。 平成10年5月に橋本龍太郎衆議院議員の事務所を訪れ,協力をお願いした。橋本議員は昭和45年臨床検査技師が誕生した臨衛技法の改正時の厚生政務次官で経緯はよく承知しておられ,その場で関係議員による幹事会の設置(幹事:熊代昭彦議員)と勉強会を約束していただいた。その年の10月9日早朝,橋本議員を座長に幹事会メンバー6名による勉強会を開催し,本格的に活動を開始した。 その後は熊代議員を窓口に自民党内,公明党及び当時の保守党にも理解を求めて活動を継続した。公明党では上田勇衆議院議員に窓口になっていただき,公明党との勉強会も同時に開催した。 平成14年9月10日,熊代及び上田両議員が厚生労働省の担当課長と補佐,それに当会役員を議員会館に呼び,「議員立法に向けて作業を開始する。厚労省の考えはどうか」と迫った。厚労省は早速検討会を設置して結論を急ぐとの返事。その翌月,委員10名による「臨床検査技師,衛生検査技師に関する在り方等検討会」が厚労省内に設置され,5回の会議で翌年3月末に終了,6月に中間報告が出された。 これを受けて衆議院法制局で法律(案)が作成された。その内容は業務制限を含めて日臨技の要望に沿ったものであったが,業務制限で日本医師会が難色を示したため,改めて日本医師会との折衝を重ねること数回,しかし理解は得られなかった。 やむなく法案成立後,厚労省が通達で補うことで了承し,2004年2月の代議員会に諮り,提出期限の平成16年3月15日に衆議院に提出した。それを見届けて,私は会長職を退任した。 その後,小負長はじめ執行部の精力的なご努力で法律内容はより充実した形となって,衆議院,参議院ともに全会一致で可決成立した。 思えば議員立法を決断し,橋本龍太郎議員事務所を訪れてから実に7年。日臨技が法改正運動を開始してから30年,国会の傍聴席で成立の瞬間,厳禁となっていたのを忘れ,思わず小さな拍手をしてしまった。守衛があわてて注意に来た。法改正に関わって10年,その間の我が心を守衛は知る筈もなかったのだから仕方がない。 |
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